SSブログ

20年/10年半 [ひとりごと]

2O1A9207.jpg


不正解

アメリカでの出来事を知ったのは20年前の9月12日の朝。先に起きた家人が「大変、めざましテレビつけて!」と寝室に飛び込んできた。
映し出された映像は・・・WTCに2機目の飛行機が突っ込む瞬間の映像。セスナじゃないの?「いや、ジャンボだって」ウソでしょ・・・しばしぼんやりとテレビを見ていた。

会社に行くと、この話題で持ちきり。早い人は昨夜の遅い時間のニュースを見て知っていた。
何が起こってるの?想像も理解も全く及ばない。

実は、このときビルの中にあった日本の銀行に先輩が勤めていた。
階数から、「たぶん・・・」という感じだったけど、本人実はこの日「ずる休み」。どうしても会社に行く気になれず体調不良と言うことで電話をして、ビルが見える自宅アパートで寝ていた。
ものすごい音がして、窓からビル(職場)のほうを見上げると、1機目が突入していた。
同期や後輩たちには一時「安否不明情報」が流れたけど、幸い私のもとに「生存確認メール」が来たので即拡散。みんな安堵していた。

もう一人、同じ銀行に「出勤していた人」と先日お会いする。「逃げるの大変でしたよ」と笑顔で教えてくれた。若くして(うちの会社の)取引先のNo2になられた、ということで黒塗りの車(運転手さん付き)で訪問される。「生き残れてラッキーでした」と笑う。お付きの人は「強運ですね」とすかさず合いの手を入れていた。「中の人」に会うのはこれが初めて。

実は、突入した飛行機の中にも先輩がいる。奥様のもとには、その一部だけが戻ってきた。たまたま乗るはずの飛行機が欠航(機材トラブル)で、犯人たちと一緒に飛行機に乗ってしまった。急遽決まった出張で。たぶん先に書いた「お付きの人」なら「運が無いですね」「不運ですね」と簡単に答えていたと思う。そんな簡単なもんじゃない。残された奥様、お子さんたちの気持ちを思えば、そんなカンタンに「運・不運」で分けられるものじゃない。

尊敬する写真家・長倉洋海さんがずっとアフガニスタンで撮影を続けていた。アフガン統一のために戦っていた「マスード」と生活を共にし、その人と心を見事に撮影している。マスードは9.11直前に暗殺されている。つまりは、祖国統一を阻む勢力によってマスードは殺され、その勢力によって9.11は決行された。
もし彼が殺されていなければ・・・と、今でも思う。たぶん9.11は無かっただろうに。

まさか20年経って、その国が再びその組織によって支配されるとは。
怒りの連鎖、負の連鎖、暴力の連鎖、そして、悲しみの連鎖。
アメリカの「怒り」から始まった20年戦争は、アメリカに対する「怒り」を持つ勢力によって勝負を決した。怒りからは何も生まれない。おびただしい人の命が奪われ、川が赤くなるほどの血が流れ、恐怖と支配だけが残った。

そんな話を次男君にした。そっか、君が生まれる前の話なんだね。
時間の長さ、時の早さを実感する。

彼の国に平和と安定を。

アメリカは関係各所で追悼のセレモニーが行われている。バイデンさんは参列はするけどスピーチはビデオメッセージを流すだけのようだ。何故?何か不都合な事でも?何か失策・失政でも?
納得しない人は多いだろうね。

私は帰ったら、先輩のご冥福を祈ります。彼の国の安寧も。世界の平和も。
それが「その時代に居合わせた人間」としての、せめてもの行動だと思うから。
暴力を、たとえそれがどんな形であれ、どんな理由があれ、暴力を否定します。

***

今日も東北太平洋沿岸部で、不明者を捜す人が、祈りを捧げる人が。


nice!(1)  コメント(0)