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QOL or QOD? [ひとりごと]

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小雪舞う網戸に とんぼ が ひとりぼっち
仲間はいない
長生きすることが 本当に大事なのか
少し考える

ちょっと前、ひょんな会話の中でしたり顔した男が 「やっぱりQOLって大事ですよね」 と言った。
言葉の裏を知っているので、それって今、この場で言うコトバ?と思ってしまう。会議中。
僕にとってはQODの一部かな。大事だなと思う事は。

臨終正念、と東洋哲学では説く。臨終のことを先に習いなさい(考えなさい)、委細はそこから、とも。
西洋では「quality of life」〜生活の質〜が重視される。言葉は違うけど、日本でも「よりよく生きること」が「善」とされる。ターミナルケアで「ペイン・コントロール」や「緩和ケア」が注目を浴びるようになったのは、日本ではつい最近のことだと思う。「長生きすること」が最善とされ、「何のために生きるのか」という哲学が日本では不毛だった。苦しみながら死んでも、あの世は楽しいぞ、なんて普通に考えられていた。だから「延命措置」は得意だけど「終末期」では専門家でも意見が分かれるようになっている。お医者さんそれぞれのバックボーンも大いに影響するので、一つの方向にはまとまらないほうがいい。最後は患者が「自分の価値観に合う先生」と出会えれば、それでいいだけだから。

だからこそ、「quality of death」〜死に至るまでの質〜から逆算して生きるのもまた、大事なのかな?とことに思う。エール大学・シェリー・ケーガン教授の講義は厚い方の本を購入している。死とは何か?仏教から観る死と、キリスト教から観る死はその価値観が違う。ならば、双方の違いを比べてみるのも楽しいかなと思っている。現在は「漬物石」状態だけど、せめて来年は机の上、文鎮ぐらいには・・・。(読みなさい)

死を考えることは、(能動的に)どう生きるべきかを考えるスタート地点だ。

考えもせず、享楽的に「接待を伴う」楽しいお店で遊べるだけ遊んで、流行病に感染し、意識戻らぬまま旅立つ。それはそれで「その人の考え方」だから。否定も肯定もしない。でも、医療従事者には大迷惑な話だ。感染対策が取られた安全な店で、一人ご飯でもいいじゃん。このご時世、外食産業も厳しいんだから。うちは「廻らなくなったかっぱ寿司」や、「静かなすき家」や「幸楽苑」なんかによく行きます。なくなったら困るので。時々「COCO'S」も挟むかな?あとは一人「ケンタッキー」とか、一人「モスバーガー」。テイクアウトで「タリーズコーヒー」。これは毎週日曜午後の決まり事。

なくなったら困るけど・・・Nikonは「いいなあ」と思う機種がない。危ないなあ。企業自体が。だから買わない。いつまでSONYやCanonの後塵を拝しているんだろう?
F3の昔に戻ってよ。光っていたNikonに。F3のNASA納入カメラ、特に愛称「ビック」、欲しかったなあ。

なんて書いてたらニコンさんからメールが(笑)。「フルサイズミラーレスの小型軽量ボディーで、気軽に持ち運べる携行性と高画質を両立した Z 5。その魅力について、フォトグラファー 飯野匠紀氏に語っていただきました。」ですって。

600人越えかあ。でも予測だと来週には1,000人を超える新規感染者、と言われてたから別に驚かない。検査が間に合うかな?心配はそこ。
大阪の医療崩壊。維新が潰した「看護学校」2校が機能していたら、看護師さんはもう少し多かったかも。リーダーが暗愚(当時は橋の下さん)だと、未来がない。だから信頼できないし、まかせられない。でも、大阪の人が決めたことだから、どんな結果になっても当方には責任はない。


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