SSブログ

免罪符 [ひとりごと]

2O1A8904.jpg


向日葵畑を16mmで撮ったけど 引きすぎて分からない
35mmまで持ってきて なんとなく引いた写真が撮れる それがこれ
広角は寄るに限る

ま、畑の管理者さんと「お友達になる」ことと、「晴れた日に撮影に行く」ことが大事と実感する。
車まで戻って100-400mmで、とも思ったけど、そうなると青い空が必要だと欲張ってしまった。

人は亡くなると、急にみんなが「いい人」「善人」になる。「死」はある意味「免罪符」。
生前どれだけ悪事を働いても、死んだら悪口言われなくてすむと思えば、今を真面目に生きているのが急に阿呆らしくなる。メチャクチャやっててもOKなんじゃないのって。
でもみんな「そんなもん」らしい。亡くなれば、みんないい人。

家人が「亡くなったって」と。人の名前も言ってるけど、ココロが受け付けない。反応もできない。
彼女はひたすら、お世話になった、よくしてもらったと言う。君や君の家族にとってはね。
正直、思った。「一言でも、詫びるコトバが欲しかったな」と。それは死亡広告を見ても変わらない。

検診でステージ1、精密検査でステージ3と診断され、1年半の闘病だったという。
それだけの期間があれば、伝言でも、人づてでも、「あの時は・・・」ということは言えたはず。
その人の中では、すでに私は「死んだ人」「長期休暇に入ってる人」「関係のない人」だったらしい。
受けた仕打ちは忘れないけど、やった方は記憶にも残らないんだね。きっと。たぶん、そんなもん。

「死」は・・・いかなる形であれ・・・「免罪符」になり得るんだ。虚しいね。

「許す力」が乏しいらしい>>私 いやだね。自分でもウンザリする。

野暮用で、久々に友人にメール。返事が来たけど、相変わらず忙しそう。それに暑いだろうな。
観光客が来ないおかげで、税収が少なくなるし地元経済は疲弊するだろう。修学旅行も来ない。
ま、それをどうするかは君が考えること。頑張れよ。と、突き放すことはしないけど。同苦しますよ。

ドコモの営業さん。そろそろ「ガラケー」から「スマホ」にしませんか?と。個人のはガラケー。
特に困らないけど。スマホじゃなくても。

nice!(0)  コメント(0)