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情に訴える日本 [ひとりごと]

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田舎のコンビニ前。車もありません。3密もないです。接待を伴う飲食店も営業してないです・・・。

何故、大病明けのアスリートをあんな形で利用するんでしょうか? >>開会1年前のイベント
お涙頂戴、情に訴えるため?政権維持と経済効果のためだけなのに。
純粋な気持ちで出演する人を、平気で使い倒すやり方に唾棄したくなる。各紙の全面広告も同じく。

政権に近い筋の議員が「これでオリンピックという目標がなくなったら、政権維持ができない」と。
我が宰相の「花道」のためですか?商業主義よりひどい。ベルリンオリンピックと同じです。
スポーツの政治利用。一番危惧すべき状況に、IOCが先手を打ってくれれば。WHOの勧告も是非。

イギリスのテレビ。COVID関連で「感染症の専門家」が「東京でオリンピック?不可能です」と言い切っていた。「例えワクチンや治療薬が開発されても、全世界に行き渡るまでには時間がかかる」と。
都民・国民が「不要な経費」を負担する前に、撤退の意思表示を。それが政治判断。賢明です。

ある党の議員さんが「障がい者が生きやすい環境を」と。ALS患者の「嘱託殺人(=安楽死)」問題で。
取り除きようもない苦痛が襲っても、人は生きるべきですか?モルヒネを打ち続けながら。
身内に同じ病気を持つ者がいます。一人は亡くなり、一人は静かに余生を送ってます。
一緒くたにしちゃいけない。総論と各論は決してイコールにならない場合が多い。特に人間は。
死生観、生い立ち、置かれている環境、現状。すべて異なります。
しっかりした判断ができる場合、選択権は家族にも親族にも支援者にもない。本人が決めることです。
どうしても「やまゆり園」と問題を混同しがちですが、それとは違う。一緒にしちゃいけない。

国家として「尊厳死」を認めている国に、日本人がきょうだいとともに赴いた。
「その日」が近づく中で、本人がきょうだいに「私、間違ってるのかな?」と問います。
泣いて、ケンカして、病気になって、治療して、改善の道が絶たれ、苦しみだけが残った。
そんな日々を「心臓が動いている間」過ごさなければならないのか?深く悩み苦しんで、話し合って話し合って、結局は自分の意思で尊厳死を選んだ。
でも、その日が来るのが怖いんです。ある意味「当たり前の感情」です。正直になれたんです。
「今からでも日本に帰れるよ。自分で決めたんだから、自分で変更してもいいよ」と。
結局その日本人は、そのまま尊厳死を選びました。

今回のALSの患者さんも、医師たちと(一人は有名な、元厚労相の官吏)1年半のやりとりを続けたと言います。医療の限界と、延命技術の進化の中で、「いのちとは何なのか」「生きること、死ということ」に関する大事な話し合いを曖昧にした結果がこれだと思います。
先送りするんじゃなくて、正面から見つめる。今必要なことはこれでしょう。

それでなくても「経済を優先」する、この国にとって。

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