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責任の所在 [東北太平洋沿岸]

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見上げる

福島地裁で東電の国の責任を認める判決が出た。
巨大津波を予見できた。その対策を怠った・・・明確に責任はあったんだ。
でも土地(地域)の「原状回復」については却下。これは司法じゃなくて、科学的にも無理。

6年7ヶ月。

南相馬の海岸では、今日も集中捜索が行われていた。
手がかりになるものがあれば、と九州から出向中の警察官。
冷たい風が容赦なく吹き付ける海岸で、砂を掘りながら。

津波で被災したエリアに「帰還」することをもし諦めていれば・・・
新しい土地で頑張っていこう、と前向きになる日も早かったかも知れない。
盛り土して、新しい商店街を作っても、客足はだれも保証できない。

今朝から新燃岳が噴火している。日本は世界有数の地震国、火山国。
自然が動くたびに、地形を変えてきた。海岸線も同様。
そこに人間が抵抗したとしても、再び津波が来れば安全は誰にも分からない。

と、その地で生まれていない人間は簡単に言えるけど。

秋から冬へ。季節も変わっていく。
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16年。6年半 [東北太平洋沿岸]

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車窓より。あのときはいっぱい転がっていたっけ。>>ガスボンベ

アメリカ同時多発テロから(あと数時間で)16年。東日本大震災から6年半。
出来事の性質は全く違うけど、その日を境に人々の心に大きな変化をもたらしたと言うことでは同じ。
改めて、ご冥福を深くお祈りいたします。

今日も太平洋沿岸各地では、捜索が続いている。
消防や警察が、手がかりを求めて被災地で活動している。
関連死を含め被害者行方不明者2万2千人あまり・・・現在でも仮設住宅に2万人が身を寄せている。

原発事故の収束は全く目処が立たず。高濃度汚染水は海にダダ漏れ状態。
昨日は作業員の内部被曝事故が起きた。
中間貯蔵施設のために、家の取り壊しを余儀なくされる近隣住人たち。

原発事故被災者の6割近くが「無職」。帰る地も、仕事も奪われる。
震災後は、まだ続いている。
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天文ガイド9月号 [東北太平洋沿岸]

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発売中の天文ガイドの「宇宙からの視点」に、「事故原子炉の廃炉にかける時間」という一文が載っている。
さすがは池内先生!と思った天文ファンも多いのではないでしょうか?
是非お手元に。これほど分かりやすい解説文は二度と出ないでしょうから。

1957年に起きた「レベル5」の原発事故の「廃炉完了目標」が事故から163年後の2120年。
2011年に起きた「レベル7」の原発事故の「廃炉完了目標」が事故から40年後の2051年。
国と東電による「雰囲気作り」にごまかされてはいけない。

山の日。でも東北にとっては「月命日」。
最近は避難解除区域の現状がテレビでよく放送されているけど、全国的な視聴率はきっと低いと思う。
所詮他人事だから。

人間の敵は放射能だけではなく、「野生動物」。福島(TVでは浪江町)の市街地を、体重100キロを超えるであろうイノシシが我が物顔で歩き回り、アライグマやハクビシンが屋根裏に棲み着く。
駆除は追いつかず、人を人と恐れず、民家のまわりには動物園よろしくフェンスが設置される。
帰還者からは「どっちが主人なんだか・・・」との嘆きも。

線量も高い。除染したからといって必ずしも下がる訳ではない。
専門家は「家の中の除染(清掃)」と「2度目、3度目の屋外除染が欠かせない」との指摘。
東京オリンピックの建設バブルで人がいない中で、福島での作業はもはや廃れてきているのが実状。
国も東電も「除染は1回のみ全額負担」といっている。室内に関しては町の補助金だけが頼り。

こんな状況で「さあ皆さん、避難解除になったので帰還してください。ここから先、避難は実費です」と切り捨てる国家。
強制的に避難させ、別の町にコミュニティーを再構築させ、事故現場に「石棺」を作る国とどちらがいいか?
一概には言えないけど・・・。


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時間の進み方 [東北太平洋沿岸]

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無念

昼ちょっと前、九州で大きめの地震。被害はなかったようで一安心。

各地にあった「災害FM」もすべてなくなり、多くの仮設住宅も役割を負え、復興住宅で新しいコミュニティが生まれ始めている。
ただこれはレアケースであって、「被災過疎」の問題や学校の存続など、問題は地域地域で発生している。
そして大きな課題である「福島の復興」に関しては、ほぼ「時間が止まっている」と言ってよいほどの状況。

被災三県・・・大きな被害があった岩手・宮城・福島・・・の時間の進み方に、大きな差が出ている。
もしどこかで三県の「地元紙」を読む機会があれば、是非読んで欲しい。
全国ネットじゃ報道されない、様々な問題が山積されていて、各県ごとにその量が違うことに驚くでしょう。

東北ばかりじゃない。新潟だって、熊本だって、今回の九州豪雨だって、昨年の広島豪雨だって・・・
次から次へとニュースは追いかけるけど、立ち止まって発信し続ける「地元紙」を是非購読して欲しい。
その地の正しい情報を知ることも、復興支援の大きな力になる。

そう思っている。
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風評 [東北太平洋沿岸]

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宰相も足を運ばれました。
何をしに来たのか、どのくらいの買い物をされたかは分かりませんが

居住困難区域での山火事。「放射能が飛び散る」との根拠のない噂。ある程度の立場ある人の発言なので十分注意して欲しい。
これが、風評被害の主原因。

代々の復興大臣も元凶になってきた。放射能移すぞと発言してみたり・・・
事実(現実)と噂の境目が分からなくなっている。
子供たちの甲状腺ガンの発症率が高いのは事実。野菜に放射能がついているのは風評。
少し調べれば分かること。判断を無責任なジャーナリストに任せてはいけない。

今朝、月命日なので亡くなった皆様のことを深く祈る。
今日も各地で消防や警察による集中捜索が行われている。
熊本の仮設住宅でも、困ってる人がいる。悩んでいる人がいる。
そんなことに、思いをはせる。「想像すること」が、大事。今この瞬間も。
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写らないように [東北太平洋沿岸]

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有名な震災遺構を見上げる祈りの場。
各テレビ局が「6年目の被災地」を報道したけど、祈りの場の脇にある被災した家々の残骸は写されることはなかった。福島では「手つかず」感をを出すために写されていたけど・・・。

都合の悪い場所は写らないように工夫する。熊本も同じ。
報道は本当に自由なのか?
言論は本当に自由なのか?

国と東電の生き残りのためだけの「避難区域解除」が3/31.4/1と大規模に行われた。
自主避難は被災者の勝手と言い切る大臣もまだ残ってる。
黒いフレコンバッグからは、雨が降ると「汚染水」が流れ出る。
小川や地下水の数値が改善しないのはこれも一因。地下水の汚染ピークはこのあと十~三十数年後。

GWは「本当の被災地の今」を知る旅をご提案します。
そんなツアーの募集はやらないのかな?てるみくらぶあたりで。
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高台より [東北太平洋沿岸]

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真ん中より少し右、ちょこんと見えるのが防災庁舎の骨格。手前の国道45号線の橋桁よりも、防災庁舎のアンテナのほうが高い・・・大丈夫?
この45号の橋ができれば町に活気が戻る、と期待を寄せてるけど、ただの通過点になりそうな気がしている。

高台から周りを見渡すと、悲しいほど何もない。写真の左側に震災遺構(会館)があるけど、それ以外は被災を逃れた民家が少し。建設中の建物が一つ。あとはピラミッド。海側にはテトラポッドが少々。
何を持って「復興」というのか、正直分からなくなる。
町という単位で見てもそうだけど、個人としての単位で見ても同じ。被災者の「復興というゴール」は、いまだ見えない。

この朝出がけに聴いていたラジオでは、この近所の縄文遺跡の「貝塚」に、復興のヒントがあるという。
日本、いや世界的に見ても非常に状態のよい「貝塚」があるのだが、その貝塚は今回の震災で被災していない。津波が届かない場所に縄文人が暮らしていたということが証明されたらしい。
後ろには山、前には海という環境の中で、いわゆる「里山」「里海」として山や海の恵みを日々の糧にしていた彼ら。当時から「津波」があったと知られているのだが、彼らはその中間より山側の「高台」で生活していたため、生活を維持できたんだと推察されるという。

近代になって海側に家を建て暮らすようになった人間たちは、何度も津波被害を被ることになる。
縄文の教えは途中津波の起きない時期に忘れ去られ、漁に便利なように海岸線近くに住むようになったとは考古学者の弁。

震災直後(津波が引いた数日後)に現場入りしたとあるカメラマンさんは、その時の印象を「何もなかった。原始の昔に戻ったかのようだった」と述懐していたという。
幾度となくやって来た津波、日々打ち寄せる波によって、この国は形を変えてきたんだなと思う。
その「自然からの警鐘」に対し、スーバー防波堤や盛り土(もりつち)をして対抗しようとする人間の姿は、この地球の歴史から見れば、この自然の驚異から見れば、もしかしたらとても小さなものかも知れない。

善し悪しは別として。

多分答えは、このあと何年、何十年、何百年後にやって来るであろう大津波が来たときにでるんだろう。

遠くに見える水平線がいつもより盛り上がって見えるとき、3.11の教訓が語り継がれていることを願うしかない。


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私も、 [東北太平洋沿岸]

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そう思って、今日も1枚。明日も1枚。

南三陸さんさん商店街の中にあります。是非応援してください。

もっとも、海外のようにセンセーショナルな1枚で、世論が一変して政権が変わる、なんて写真は狙っていません。基本サラリーマンですし、昔は報道系に憧れがあったけど普通に就職した訳なので・・・。
でも写真をやってるものとして、自分の撮る1枚にはちゃんと責任を持ちたい。SNSで発信するも良し、プリントして友人に見せるも良し。何らかの形で自分の思いを他の誰かに伝えていくことが一番大事だと思ってます。

もっとも、「誰かに伝わる写真」を撮るのが至難の業なのですが。

日曜の写真をプリントして、長男君が家人や次男君に説明したらしい。盛り土の写真はちょっとショックだったようで、「これって本当に大丈夫なの?」とみんな思ったようだ。
それで計画がここまで進んだんだから、今更引き返せないと思うけど。

それにしても、商店街で買ったオリジナル笹かまが美味しい!!!
たこぷりんはまだ食べてないけど、こっちはどうかな?
MacBook Proに、南三陸のステッカー貼りました!

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肌感覚 [東北太平洋沿岸]

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巨大な「ピラミッド」状の盛り土(もりつち)に挟まれた南三陸防災庁舎。
震災遺構になるかどうか判断が分かれているため、決まるまでの間県が管理。そのため防錆塗装が施されている。以前のように、すぐ近くまでは行くことが(表向き)できなくなった。が、実際は道があるので・・・。

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建設中の橋。左上には南三陸さんさん商店街。心配なのは、防災庁舎のアンテナ(=最大水位)より商店街や盛り土が「低い」ということ。盛り土はこのあと上から削られ、造成される。今はただの「仮置き」。

春から上京する長男君が「日曜日、(被災地に)写真を撮りに行くなら一緒に行きたい」と家人に言ったそうで、ならば今まで連れて行かなかった防災庁舎を見に行って、商店街で買い物しようかと南三陸へ行くことにした。何故一緒に行こうとしたのかなと聞いてみると、「東北を離れる前に、自分の目で見たいから」と。
そう言えばこの3年ぐらいは一緒に被災地に行っていない。ならば、復興状況を自分で感じるのは大事だなと思い車を走らせる。

僕も1年ぶりの南三陸。盛り土の最中で巨大なベルトコンベアの下、展望台を登った記憶がある。果たしてどうなっているのか?

3.11の翌日ということもあり、またさんさん商店街が全国に「復興の旗頭」として紹介されたせいもあり周辺道路はものすごい渋滞。5分ほどの道のりに2時間近く足止めを食らう。まあ、繁盛でいいこと。平日もこうならさらに良し。だけど、復興商店街の回りには何もない。もちろん、周辺住人もいない。まだ造成前のピラミッドたちが林立しているだけ。

ちなみに、この地域には「防波堤」「防潮堤」の類いはない。遠くに見えるホテル観洋から志津川湾全体を覆うものは何もない。次の津波も盛り土だけで乗り越えるようだ。が、それが防災庁舎のアンテナより確実に低いし、ホテルよりも低い。大丈夫なのか?と素人は心配になる。

旧道と造成後の道のアップダウン。標高差で7mぐらい。やはり低い。ここは10mオーバーの津波地域。
ん・・・・・・・・・・・・・・・・分からん。素人目には。

商店街は大盛況。車のナンバーを見てもすごい。湘南、富士山、釧路、新潟などなど。皆さんありがとうございます、と思っても、私も「県外ナンバー」の一員。
ここまで来てケチっても仕方ない。よし、昼ご飯は「仙台牛弁当」2580円を2人前だ!これがまた旨い!
海鮮丼がものすごい行列なので肉にしたが、海鮮丼(700~1500円)もお勧め。
地元のお土産買って、お菓子屋さんで「たこぷりん」を、文具店で「すみっコぐらし」のカップを買い、家人の好物の笹かまをGet。品揃えもなかなか。

最後に展望台へ。志津川湾、被災地を一望できる。案内看板(被災前後の写真、復興計画図)を見るも、その大きさ、広さに戸惑う。6年かけて、新しい建物は商店街とセブンイレブン。ちょっと山側に、プレハブ店舗の酒屋さんと床屋さんが仮営業中。震災遺構が1、県の預かりで遺構が1。ピラミッドがいくつか。建設中の橋脚2。
6年で、だ。6年。2191日。作業人員は慢性的な不足。関東方面で3年後、大きな行事があるためにそちらに人が取られているという。そんなのやめちまえ。

被災者が話していた。オリンピックには「開催日」という期限があるが、復興には期限がない。だからいつも後回しだ、と。

6年経っても仮設住宅。縛っているのは昭和22年にで来た法律。変えようにも、いつも意見は立ち消え。

3.11の式典で、福島第1の原発事故に触れなかった我が宰相。コイツに国を任せてはいけない。

展望台で、長男君に「海をバックに写真、撮る?」と聞くと、「そんな気になれない」と。
これが肌感覚。

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道半ば [東北太平洋沿岸]

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いち早く復興したのは、自販機だったかも知れない。

2011.12 南三陸

東北に今必要なもの。精神科医、カウンセラー、茶飲み友達。
TVにでる人は、元気で前向き。強がり癖のある東北人。本当の姿は、本当のココロは分からない。
他人にはココロを開かない。気づいた時には傷深く・・・という場合が多い。

時間が解決してくれる場合と、時間が問題を深く深刻にする場合。その人、その問題の質による。
だから、一絡げにして語ることはとても難しい。
自然災害と、人為的災害。その複合型。だから、ますます複雑怪奇。

震災だけでも、新潟中越、東日本、九州熊本・・・日本は被災地だらけ。
噴火、豪雨による水害、異常気象なんかも含めると、確かにこの国は病んでいる。
未来が見えないカオスこそ、この国の現状。

同僚と。今日でしたね・・・そうだね・・・何も変わらないね・・・うん・・・
変わったのは車両のシステムと防災対応の設備ぐらい。全車両のリアルタイム位置表示。万が一の時にすぐ指示ができる。最低一週間は、業務を継続できる。災害緊急車両の指定申請書類も、すぐ提出できる。

車両は3台失ったけど、人命は失わなかった。それだけでもシアワセだ。

仮設に6年も住まわれている人がいる。まだ2500人以上が行方不明になっている。
避難指示が解除になり、線量の高い区域に戻らなければならない人、支援を打ち切られる人。
今だ風評被害に苦しむ人。避難先でいじめを受ける子供たち。

地域の復興は道半ば(フクシマを除く)。
ココロの復興は・・・いまだその「ロードマップ」すら描けない。
そんな6年目の東北。

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