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澤田教一:故郷と戦場 [GR(RICOH)]

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今回初めてプリントされた作品もある、と聞き、ようやく会期中に間に合った。

安全への逃避でピュリッツァー賞受賞、と言えばご存じの方も多いかと思う。
題名を知らなくても、川の中をこちらに向かう親子の写真と言えば有名。
「ベトナム戦争のアイコン」と化した一枚の写真で、教一は有名になった。

カメラはライカM3、M2、ニコンF、ローライ。アマチュア時代にキヤノン(Lマウント)。
野心家、写真家、報道記者。アメリカ側からベトナム戦争に従軍取材。UPI(United Press International)の社員として。

ふるさと、青森では何度か写真展が開かれている。今回は奥様から青森県立美術館(三内丸山古墳、自衛隊青森駐屯地となり)に寄贈されたフィルムや電送写真が初めて展示されることもあり、会場は今日も大勢の鑑賞者。

今までも写真展や写真集を通じて氏の写真を見てきたけど、今回強く感じたのは、
1)戦争はどんな理由があってもダメ
2)野心を満たすための、功名を得るための「写真行為」はココロに響かない
という2点。
図録(記念写真集。4,980円)も何となくパス。帯に「アメリカの戦争」という文字を見つけ、手に取るのをやめた。

キャプションの書き方にも引っかかりがあったせいか、どうしても「名声が得たいから」戦場行きを選んだ、とか、私費でベトナムに行った(第一回目の撮影)、とか、死後欲しかった「ロバート・キャパ賞」を受賞できた、とか・・・そんなことばかりが書かれてあり、なんか消化不良。
もちろん、戦争の悲惨さを撮影しているんだけど、何となく笑顔がある、変な空気感がにじみ出る。

写真集を見てなんかスッキリしない感覚はこれだったのかなと妙に納得。
写真は確かにすごい。普通じゃ撮れないものばかり。だけどキャパや他の写真家とはなんか違うと感じていた理由がよく分かった気がした。

兵士がしゃがみ込んでいるときに立ち上がり、彼らが退却する中で立ち止まってその姿を撮る、という「命がけ」の撮影だったという評もあったが、それが戦争の真実を伝えるためではなく、功名を得るためだったのではないかとあっさりと書かれると興ざめ。

何となくスッキリしない感覚がまだ残っている。

帰りしな、南スーダンに仲間を送り出した青森駐屯地の入り口を通ったけど、静かだった。
警備は厳重だけど。
この静けさを自分だったらどう表現しようかと考えていたら信号が青になり思考を中断。
現実として何も起こらないことだけを強く祈るしかない気がした。

残雪多し。

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