SSブログ

菜の花 [EF (EOS digi)]

BB8P1732.jpg


昔読んだ「菜の花の沖」。あんな生き方もできたかな。そんな勇気があれば。

今は黄昏。少し遅かったかな・・・人生の意味に気づくことが。他人の考えのトレースだけでは、生きてる意味は無いのかも知れない。
人は人、自分は自分。

結局、人生を切り開くのは自分の勇気次第。

他の人は、自分の人生に何の責任も持たない。盲従は後悔を生む。

・・・

この20年以上、「連休」をいただいた事は1〜2回あるかどうか?
旅に出たいな。誰も知らない場所。言葉も通じない方がいい。
そういえば、大昔のアサヒカメラに「フラッとカメラ持って、空席のある飛行機に乗って、行った先で写真を撮る」放浪の(?)写真家さんの記事が載ったことがあった。
大胆だな・・・と思ったが、今考えればその大胆さこそ大事なんだなと思う。
写真家さんの名前は忘れたけど、今もきっと活躍されてるだろう。

とある同年代の写真家さん。知り合ったのは売れる前。「お互い、しょぼくれた40歳にならぬよう」なんてメールでやりとりしていた。売れっ子になった今では、それまでの苦労が一気に報われるようにいろんな媒体で紹介されている。
「先が見えない」怖さと戦って、勝ち得た栄光。無論、天賦の才と執念があったことも事実。
安定と安全を優先させたら、成し得なかっただろう。
そこに、人間力・・・人間の底力と、家族の協力の結晶を見た気がする。

nice!(0)  コメント(2) 

nice! 0

コメント 2

止歩香港

何かを選べば何かを失います。世間的な成功のためには失う事柄を無視するのが必要条件、谷本真由美女史「ロンドン電波事情 5.19付」のように。
選ばないのは何が悪いか、選んだ結果失うことを苦慮すること(杜子春みたい)のどこが悪いか、価値も価値観も揺れ動きそれで揺れ動くのが自分だと思います。
これまで仕事でいろんなこと、ちょっと想像できないほどのこともやってきました、でもそれがどうしたです。世の中には無名のもっと立派な人や知らない人(外国人も)がたくさんいてお互い揺れ動いて出会ったり離れたりって大きな楽しみです。
写真といえば若いころは特定の人以外が大嫌いで年がら年中ニコンFを抱いていました、がやがて分かったこと、金で買えるものには大した意味がない、写真は心眼で撮るものだって。きっと眼が衰えだしたせい、普通の人とはその程度のものだと思います。
生きていれば何とかなる、まして仕事など解決できないことはないと思っています。

by 止歩香港 (2015-05-21 00:54) 

ジェイク(JIQ)

何かを失ったように見えるのは、きっと「やりがい」とか「充実感」という「ココロの栄養素」に変わるんでしょうね。今の私には充実感も達成感もなく、ただひたすら「ミスの無いように」との緊張感だけ。その緊張をほぐすための写真も、撮るのが息苦しい時代になってきました。
真実など、街の古い建物の解体を写真に納めようとしていたら、法的な不備の「決定的写真」を撮りに来た「同業者」だと思われたのでしょう、現場の偉い人にどつかれました・・・(怖かった・・・)。
家族を養うために安定を取ったんだからそれ以上望むな・・・と、言われることもありますが、「二兎を追う者が二兎を捕っちゃった」的な幸福はないんだなと最近気づきました。贅沢ものかも知れません。

by ジェイク(JIQ) (2015-05-21 05:27) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。